幸せな人生にお金はどこまで必要?年収600万を達成後、島への移住を決めた男に聞いてみた

仕事をする上で大きなモチベーションとなる年収。しかし一定の額を超えてしまうと、年収が上がっても幸福を感じなくなってしまうことが、様々な研究で明らかにされています。
では、世間のサラリーマンは何をモチベーションに働いているのでしょうか。
また、幸せな人生とは何なのでしょうか。
今回は、30歳まで年収を600万円にすることを目標にがむしゃらに働いてきたものの、年収600万円を超えてから自分にとっての幸せを見つめ直し、離島への移住を決意した斉藤さん(34歳・男性・仮名)に、お金と幸せの関係性、30歳を超えてから考えた幸せについてお聞きしました。
「年収を上げるために働いてきたものの、何か違う」「自分の人生、このままで良いのかな」とお悩みの方は、“斉藤さんが自分の幸せを見つけるまで”を参考にしてみてはいかがでしょうか。

「やりたいことが分からない」今後の人生を模索していた、フリーター時代


ー現在34歳で東京のITベンチャー企業に勤務、来月からは離島に移住されるということですが、そういった決断をするに至った経緯をお聞きしてもよろしいでしょうか?
「遡ると10代からの話になりますが大丈夫ですか(笑)?
そもそも私は、10代の頃世の中に反抗していて…大学に行くのもだるいみたいな(笑)。
やりたいことも分からないし、何も目的がないのに大学に行っても仕方がないと思っていました。親も、“大学に行くか行かないかはどっちでも良い”という考え方でしたし。」
ーやりたいことが分からないまま大学へ進学する学生もいる中、斉藤さんはそうされなかったんですね。
高校卒業後は、何をされていたんでしょうか?
「フラフラしながらこれからのことを考えようと思って、18歳〜20歳くらいまでフリーターをしていました
フリーターをしつつも、男であることや、一人っ子で将来親の面倒をみないといけないことから、時期がきたらきちんと手に職をつけないといけないとは考えていて。
簿記を学んで会計士になろうと思ったのですが、途中で挫折しました。向いてなかったんでしょうね(笑)。
当時、“これからの時代はパソコンが必須になる”と言われていたので、“パソコンだったら途中で挫折しても、ある程度できるようになっておいて損はないな”と考えて、今度はパソコンを習い始めました。
すると、意外と楽しくて、資格もいくつか取得しました。」
ー“やりたいことが分からない”と言いながらも、しっかりと現実を見て、努力されていたんですね。
「とはいえ、フリーターとしてその日暮らしをしていました。
でも、20歳くらいになると、専門学校に行った友人は社会人になり始めるし、大学へ行った友人も真剣に就職活動を始めます。
“そろそろ自分もちゃんと働かないとまずいな”と思い始めるんですよ。
ただ、“自分はサラリーマンには向いていない”というのは最初から思っていたので、スキルを身につければフリーランスで食べていける職業に就こうと考えました。パソコンの資格を持っていたこともあり、エンジニアになることにしたんです。」
ー就職活動をされたんですか?
「そうです。
当時、実家がある関西地方に住んでいたのですが、エンジニアとしての修行を積むため、一度東京でサラリーマンになる決意をしました。
3年くらい東京でエンジニアとしてのキャリアを積めば、その後地元に帰ってきても何かしら仕事があるだろうと思ったんです。
初めてのサラリーマンだったし、学歴もなかったのであまり年収は意識せず、従業員が100人くらいのシステム会社に入社しました。」

クライアントからの評価は高いのに、自社では評価されない———1社目で感じた不満


ー東京でサラリーマンを始めたのは、何歳の時ですか?
「ちょうど大卒の新卒の人たちと同い年で、同期として入社したので22歳くらいだったと思います。
その会社では、お客さんの会社に派遣され、派遣先で頼まれた仕事をやるという業務スタイルでした。私の労働に対する時間単価が決まっていて、常駐先の会社が、私の所属する会社に報酬を払うというシステムです。
フリーター時代に、小中学校の先生たちを対象としたパソコン教室の講師をやっていたこともあり、他の新卒の人たちに比べ、社会で働くことには慣れていました
また、パソコンにも慣れていたため、しっかりと自分の仕事をこなし、定時で帰れる日々が続いていました。」
ーフリーター時代の経験が活かされ、最初から、優秀な社員だったんですね。
「常駐先からすると、無駄な残業をせず、定時内でしっかりと仕事をこなすのでそれなりに優秀だと思われていたでしょうね。
実際に、“斉藤君がいて助かるよ”という言葉や、信頼の言葉も多くいただきましたし、1年目なのに責任のある仕事を任され、先輩の手を借りずに1人でこなしていました。
でも、私を雇っている会社(自社)からすると、残業をしない分、最低限のお金しか入ってこないんですよ。」
ー斉藤さんの労働時間×時間単価が自社に支払われるため、残業をしないと自社の収入が増えないということですね。
「そんな日々が続き、1年目が終わるころに社内で表彰がありました。
そこで表彰されたのが、常駐先で先輩のアシスタントとして働いていた同期だったんです。
“私は1人で責任のある仕事をしているのに、なんで?”と思いますよね。その同期は、常駐先での残業時間が長く、会社にとって多くの利益を生み出しているとのことでした。
それを受けて、“このままここで頑張っていても面白くないな”と思い始めたんです。
最初は、3年働いてスキルをつけて関西に戻る予定でしたが、転職先を探し始めました。」
ー元々は“エンジニアとしてのスキルを身につける”という目標を持って就職されましたが、“正当な評価を受けられない”ということに疑問を感じたんですね。
「そうです。
当時の会社は労働時間が長い人が評価されていましたが、そうではなくてきちんとスキルが評価される会社で働こうと思いました。
じゃあ、会社からの評価ってなんだ?と考えた時に、分かりやすい指標として年収があったんです。
当時の会社は、下請けということもあり、そのまま働き続けたとしても30歳のときに年収450万円くらいが妥当でした。
それよりは上を目指そうと思い、キャリアコンサルタントの人とも相談し、年齢×20万円を目安にすることにしたんです。
それで、“30歳の時に年収600万円”という目標ができました。」

「30歳の時に年収600万円の市場価値がある人間になる」という目標を掲げて選んだ、2社目


ー年収だけを重視すると、大手に転職するのが良い気がしますが、元々はフリーランスでも生きていけるスキルを身につけたかったんですよね?
転職の際は、どういった基準で次の会社を決めたのでしょうか?

「30歳で年収600万円はあくまで目安です。会社の業績などで状況が変わる場合もありますし…。
少なくとも、30歳までに年収600万の市場価値がある人間になろう、それができそうな会社を選ぼうと考えました。
幸せになりたいというよりは、不幸の原因を少しでも取り除きたいというマインドでしたね。
だって、サラリーマンって1年間で2000時間くらい働くわけじゃないですか。そしたら少しでも面白いことをしている方が良い。
・スキルを身につける
・市場価値を上げる

という目標を掲げて、それに向かって効率的に時間を使う方が有意義だと思ったんです。」
ー「幸せとは何か」という問いまでは行かずとも、働く時間を少しでも有意義にしよう、不幸の原因を取り除こうと思っていたわけですね。
その結果、どういった会社に転職したのでしょうか?

「同じようなシステム会社に転職したら、同じことの繰り返しになってしまう可能性が高いので、キャリアコンサルタントの人と相談し、社内エンジニアを目指すことにしました。
20社ほど受けて、設立して10年目、従業員25名くらいの、小さなコンサル会社に転職しました。」
ーその会社を選んだ決め手はなんでしたか?
「正直、年収という面では、もうひとつ内定を貰っていた専門商社の方が確実でした。東証二部に上場していましたし。(現在は一部まで上場したようです。)
ただ、両社とも直属の上司になる人と話をさせていただいた結果、“この人と仕事をしたら面白そうだし、スキルが上がりそう”と思ったのが、コンサル会社の方だったんです。
あと、専門商社では独自のシステムを使用するため、そのスキルを磨いても市場価値が上がらないし、潰しがきかなくなるのでは、と懸念した面もあります。」
ーコンサル会社では、どういった仕事をされていたんでしょうか?
「簡単に言うと、社内のインフラを整備する人として働いていました。
バックオフィスですね。
面接の時に、“うちの会社は本当に何もない。何もないところから作ってくれる人が欲しい”と言われただけあって、本当に何もありませんでした。ネットワークも家庭用のものを使っていたり(笑)。
なので、ネットワークの整備からオフィス移転、HPの作成などとにかく必要なことを全部やりました。
最終的には経営企画部のマネージャーとして、社内システムだけでなく、オフィスのインフラ全般やマーケティングなど、幅広い領域を担当していましたね。」

年収600万円を達成してから感じた不安と、それを解消するための新たな挑戦


ーそれで、30歳の時に年収600万円は達成できたのでしょうか?
「できました。
ただ、ぶっちゃけ最初の4年は頑張って成果を上げても、ほとんど給料が上がりませんでした
コンサル側はインセンティブがあったりしたのですが、バックオフィス側はなかなか評価されなかったんです。
でも、5年目の時にバックオフィスも正当に評価される制度が出来て、一気に年収が230万円上がりました(笑)。
そして、そのまま同じ仕事をしていれば自動的に年収が上がっていき、35歳で年収800万円になることが見込めました。」
ーすごいですね…!
普通だったらそのまま同じ仕事を続けて年収800万円を目指すところですが、斉藤さんはそこからどうされたのでしょうか?

次の目標を探し始めましたね
そのままサボらずに真っ当に仕事をしていれば35歳で年収800万円が達成できるというのは、私にとってはとてもつまらなく、そして怖く思えたんです
そもそも年収600万円を達成したのは会社の評価制度が変わったからで、800万円が見込めるのも新しい制度のおかげじゃないですか。
結局それは会社ありきの年収で、もし会社が潰れてしまったら、業績が傾いてしまったら、私の年収なんて一瞬で保証されなくなってしまいます。
マーケティングを担当していると、市場の動きに敏感になります。いつ市場が縮小して、業績が悪化してもおかしくないことも肌感で分かってくると、本当に大丈夫だろうか?とか色々考えてしまうんですよ。
会社から自立した考え方をした時に、自分自身が本当に年収600万円の市場価値がある人間なのか、不安だったんです。」
ー確かに、今の世の中は何が起きるか分からないですし、終身雇用の時代でもないですしね。
「そうなんです。逆に言うと、スキルがあって市場価値があれば、フリーでもどこの会社でも生きていける時代だと思います。
なので、30歳を超えた時に、客観的に自分のスキルを分析してみました。
そこで生じた疑問が、“自分のコアスキルってなんだ?”ということです。
システムもマーケも両方分かる人間として重宝されていましたが、それぞれが強いわけではありません。システム屋として優れている訳でも、マーケターとして優れている訳でもないんです。
正直、その都度必要とされる幅広い業務を地頭で乗り越えていた部分も大きかったので、スキルという部分での自分の強みが分からなくなってしまいました。」

ー会社から与えれる年収という評価に満足せず、自分の市場価値を客観的に分析出来るのはすごいことですね。
その結果、どういう考えに至ったのでしょうか?

“30歳でもう一回失敗できるな”と思いました。
もうちょっと新たなスキルとか新たな領域にチャレンジしても良いんじゃないの?と。
そこで、何かの事業に振り切っている会社に入って、コアスキルを磨こうと思い、コンサル会社の時に少しかじったことがあり興味を持っていた、コンテンツマーケティングの会社に転職することにしました。
コンテンツマーケについて、もう少し深掘ってみようと。
コンテンツマーケは市場として新しい領域でもあったし、当時興味を持っていた脳科学マーケの世界とも通ずるところがあって。
コンテンツマーケの世界で知る人ぞ知るくらいのマーケターになれば、引っ張りだこの人間になれると思ったんです。」
ー具体的には、どういった会社に転職したのでしょうか?
「企業のオウンドメディアなどを制作している、当時設立3年目くらいのスタートアップ企業です。
スタートアップなので、せっかく上がった年収は200万円くらい下がってしまいました(笑)
最初はそれでも良いと思っていて、自分がコンテンツマーケ界で知る人ぞ知る存在になった時に、自分の市場価値に見合うお給料をもらえなければ、他のところへ行けばいいやと。
面接の時もそれを伝えました(笑)。」
ー面接でそれを伝えるのは、すごいですね(笑)。
一度上がった年収がまた大幅に下がるというのは、不安ではなかったのですか?

「うーん…。
元々、年収が上がった時に、その年収に慣れてしまうことへの怖さを感じていました。
例えば、年収800万円になった時に、その年収ありきの生活をしてしまって、そこから出られなくなってしまうというような…。
なので、年収が600万円になった時に生活水準を上げないようにしていたんです。
家賃も、新卒のころとあまり変わらない、月7万円くらいの家に住み続けていました。
強いて言うなら、洋服代や飲み代は以前より自由に使えるようになりましたが、それくらいですね。
余ったお金は全て貯金していました。」
ーでは、年収が200万円下がっても、生活自体はあまり変わらなかったということですね。
「そうですね。
今まで貯金していた分のお金がなくなったという感じでした。」
ー年収が600万円になった時、お金が増えたことへの幸せは感じなかったのですか?
「結局はサラリーマンなので、自分で勝ち取ったというよりは、“やっと認められた”という気持ちの方が大きかったですね。
元々物欲があまりないので、“お金が増えた!なんでも買える!幸せ!”という感情はあまりありませんでした。
それよりも、飲みに行った時にあまりお会計を気にせずに自由に飲めたり、好きな物を食べれたりという点で、日常生活におけるストレスが少し減ったという感覚でした。」

激務・結婚・自由な働き方をする人たちとの出会い———3社目で働きながら考えた、自分にとっての幸せ


ー来月からは離島へ移住する予定だとお聞きしたのですが、コンテンツマーケの会社に転職してからは、どのような心境の変化があったのでしょうか?
「最初にお話したように、そもそも私はずっと東京で働くつもりがありませんでした
むしろ3年くらいで関西に戻る予定が、よく34歳まで都内でサラリーマンをしていたなという気持ちです(笑)。
移住を決意した経緯は2つあって。
1つ目は、コンサル会社からコンテンツマーケの会社に転職する間の時期に、長期の休みがあったので彼女と一緒に離島へ旅行に行ったことです。
その時に、“ああ、こういうところで毎日海と空を見て暮らすのって良いな”と思いました。
都会の喧騒にも疲れてきていたんでしょうね(笑)。
2つ目は、コンテンツマーケの会社に入って、フリーランスで働くWeb編集者や、リモートワークで働く社員など、色々な人と出会い、“もう場所を選ばずに働ける時代になってきているんだ”と肌で感じたことです。
また、スタートアップ企業だったので、今までよりさらに激務の日々が続いて、だんだん自分の幸せについて考えるようになりました。」
ー色々な出会いや環境の変化が、自分の幸せを見つめ直すきっかけになったと。
「お金は稼ごうと思えば稼げるし、増やそうと思ったら増やせる。
だけど人生には限りがあって、いつか死ぬわけじゃないですか。そう考えた時に、お金をたくさん手に入れることよりも、時間を自由に使えることの方が贅沢だと思ったんです。
その頃、離島へ旅行へ行った彼女と結婚し、相手も激務、私も激務といった生活で、一緒に過ごせる時間が全然ありませんでした。
このままお互い激務を続けて、“世帯年収1500万。でも全然一緒に過ごせません”となった時に、それって果たして幸せなのか?と思いました。
“自分の人生の限りある時間を、自分が希望する形で1分でも使える方が良い”と考えると、移住して、ゆっくり時間が使えるところで過ごした方が幸せなんじゃないかと。」
ーただ、斉藤さんが今までやられていたのはIT系のお仕事ばかりですよね。
島へ移住することで、仕事面での不安はないのでしょうか?

「正直最初はありました。
でも、幸い景気も良くなってきているので、選ばなければ仕事はあるかなと。
移住後、一番やってみたい仕事は、今まで培ってきた自分のスキルを使って都会と地方を繋ぐという流れを作ることです。それで、島の人たちがもっと豊かに暮らせたら良いなと。
でも、それはあくまで自分の希望であって、できたら良いなくらいの気持ちです。
“仕事の心配をして動けなくなる”というのが一番嫌なので、“自由に使える時間が増える”のであれば、仕事は何でも良いんです。
もしかしたら、パソコンなんて開かずにサトウキビ畑で働いているかもしれませんが、それはそれで良いと思います(笑)。」

“幸せだからこのままでいいや”と思った瞬間、守りに入っている。変化の激しい現代で、維持できるモノはそんなにない。


ー最後に、「何のために働いているのか」「幸せとは何なのか」と悩んでいるサラリーマンの方々に向けて、斉藤さんなりのアドバイスがあればお願いします。
「“年収を上げるために働いてきたけど何か違うかも?”、“何のために働いているんだっけ?”と疑問に思ったら、自分の人生における仕事や年収の役割を一度整理した方が良いと思います。
先ほども話した通り、私にとって年収が上がるということは、好きなお酒や好きなご飯を食べられるということぐらいで、大きな幸せには繋がりませんでした。
むしろ、年収と共に生活水準を上げてしまっていたら、“そのレベルの生活を守らないといけない”というストレスが増えてしまっていたかもしれません。
私にとって、年収なんてそんなものなのです。」
ー年収や、水準の高い生活に捕らわれてしまうと、返って不幸の原因が増えてしまうと。
「何となく現状に疑問を抱いているのに“それなりに幸せだからこのままでいいや”と思った瞬間負けだと思っています。
これだけ変化の激しい時代に、維持できることってなかなかないじゃないですか。
会社というハシゴを外された瞬間、何もなくなってしまいますから。
仕事のために生きているのであれば、その環境を続ければ良いとは思いますが、違うと思うなら考え直した方が良いです。
ズルズルとその環境を続けて、後から違ったなと思うのが一番良くない。
自分は、新しい生き方を始める方法として移住を選択しましたが、それが世界一周の人も、起業をする人もいますよね。形は何であれ、疑問に思ったら一度立ち止まってみるというのはとても大切なことだと思います。」

悩んだら、変化を恐れず、立ち止まったり、挑戦する勇気を持とう

変化の激しい現代を生きるサラリーマンのみなさん。
“何のために働くのか?”“年収が上がってもあまり嬉しくないな…”と感じたら、一度自分の人生を見つめ直す時です。
会社からのお給料は、一時的なあなたへの評価に過ぎません。自分の人生と会社を切り離して考えた時に、お金はどこまで必要なのか、どんな人生を送りたいのか、今一度ゆっくりと考えてみてください。
「人生のことなんてまだ分からない」という方は、斉藤さんのように具体的な期間を区切り、その都度目標を掲げて働いてみるのも良いでしょう。
限りある自分の人生。少しでも後悔のないよう、変化を恐れず、たくさん悩んで挑戦してみてください