タトゥー愛好家に聞く、タトゥーの歴史と入れ墨との違い

話題になったタトゥー裁判や、タトゥーが入っていると銭湯に入れないなどーー。日本でのタトゥーのイメージは、怖い・不良の人がするもの。
つまり、「悪」というのがまだまだ一般的な解釈でしょう。
一方で、海外ではそんなイメージは「ない」と言っても過言ではありません。
ではなぜ、日本でここまでタトゥーは「イケナイもの」とされているのか。その答えは歴史の中にありました。
ここからはタトゥー愛好家であり、自身でも多くのタトゥーを入れている方の証言をもとに、歴史を紐解いていきます。
これを読めば、なぜタトゥーが悪とされているのか、そして入れ墨との違いがわかるはずです。
※あくまで個人的見解も多数含まれていますので、その点はご理解ください。
それではどうぞ。

お話を聞いた人
タトゥー愛好家・広島県出身。10代の頃からどっぷりとタトゥーカルチャーにハマる。幼少期から絵を描いていたことをきっかけにタトゥーに興味を持ち彫師を志すが、子どもができて断念。しかし、その後も全国的に有名な彫り師さんと交流する機会が多々あり、その中で「とある有名なアーティスト(彫師)」に出会う。彫師(タトゥーイスト)の技術は勿論のこと、日本に誰もタトゥーイストがいなかった時代の話。彫師としての心構えや、生き様、お客に対しての真摯さや、技術、知識への飽くなき探求心を十代にして死ぬ程教わった。その人から受けた影響も大いにあって、今だにタトゥーは大好き。
現在オーストラリア在住。

始まりは海軍発の「アメリカンカルチャー」だった


まず、タトゥーの歴史といっても、肌に色素を入れる行為自体の起源はたくさんあります。昔から、世界中様々な形で肉体装飾する行為は行われてきたんですよね。
肉体装飾行為は、日本には刺青(しせい)和彫りの文化があるし、ニュージーランドのマオリ民族のは有名です。インドかどこかでは、曼荼羅をお坊さん数人がかりで彫ってくれるような宗教的ものもあれば、アフリカのどこかの民族の掟で結婚が決まった女性は顔面含め全身に模様を施され、三日三晩ぐらい大熱にうなされるようなものだとか。
本当に多種多様に「タトゥーっぽい文化」は昔から世界中であったみたいです。
その中で、ボディーペイントではなく肌の皮下組織の下に色素を差し込み定着させる行為は痛みを伴うわけですね。だからこそ、何かしらの節目に決意の表現として行われることが多い
そこから一般大衆化したきっかけとしては、アメリカの海軍兵達が各地の港に着くたびにお土産がてらワンポイントタトゥーを彫っていったっていう「オールドスクール」と呼ばれるアメリカンカルチャーが最初です。ポパイの錨とか、ハートだドクロだとか。

写真のように、「フラッシュ」と呼ばれる下書きのスケッチがスタジオの壁一面に展示して合って、お客さんたち(当時は海兵さんたちが)がそこから選んでその場で彫ってもらって帰るみたいなスタジオ(Walk-inスタイルという。今も主流はこのスタイルです)が世界中の海岸沿いの町に次第に増えてきたと。 
それとは別に、スクラッチとかキッチンタトゥー、いたずら彫りなどと呼ばれる「素人が自分で針にインクつけて彫っちゃう」ようなことも世界中であったらしいです。結果、きちんとカバーアップしたくなって絵の上手い人とかに頼むという流れで需要が生まれ始めたんじゃないかと思います。
本場アメリカでは刑務所の中でやってた人もいたらしく、ジェイルタトゥーというジャンル(わざとラインを不均一にして、黒一色で有刺鉄線とか反社会的絵柄を入れたりするスタイル)まで確立されています。
そんな勢いでドンドン世界中に広がって、沢山の凄まじい技術を持ったアーティストが世界中から出てきました。それに伴って、情報や技術、技法が広がって、ジャンルひとつとっても、私が知ってるだけでも相当ありますし、まだまだ新しいジャンルが年々出てきています。タトゥーに使うインクやマシンもドンドン開発されて、今や世界中何処にでもある(宗教的な理由や政治的圧力のある国以外)一大アートビジネスになったわけです。
世界中でタトゥーコンベンションとかエキスポなどと呼ばれるイベントもさかんにおこなわれていますし、オランダ、アムステルダムには好きが講じた愛好家がタトゥーミュージアム建てたりして、日本の和彫りが入った人間の生皮が展示されてたりします。
面白いのは後で解説しますけど、日本にタトゥー文化がちゃんと広がったのはそんなに昔のことじゃないと思います。おそらく、まだ30年か40年くらいじゃないですかね。だから色々誤解を招くんです。

入れ墨の歴史と「日本の勘違い」


一方で、日本には和彫りの文化があります。
奇しくも“入れ墨”っていう書き方は江戸時代だかに、罪人に向けて彫られた印を”入れ墨”という言い方書き方をするらしいです。
そこから、ある小説家が墨を肌に残すと青くなることから、青を刺して入れることを刺青(しせい)と言い出して、和彫りの彫り物を”刺青(いれずみ)と読み書きするようになったようです。まぁこれもかなり諸説があります。
日本の刺青も世界中で行われてた肉体装飾文化のひとつで江戸時代よりも昔からあったようです。それが広がったのは江戸時代中期だったか、火消しとか鳶のような命懸けの仕事に就く人達がその生き様を“粋”として、背中一面や全身に”紋紋”(もんもん。彫り物の別称)を纏うというような流れがあったようです。
そのような時代事を歌川国芳を始め多くの浮世絵師が絵にして、歌舞伎役者も流行りにのって刺青を入れるなどして一般大衆化していったんです。
まぁ個人的な見解としては、「カッコいい」という娯楽のひとつとして流行ったのだろうと思います。
当時の絵柄は中国の古い民話や日本の古い民話などの登場人物や、今でも定番的に思われている龍・般若・鯉なども江戸時代当時からあったようです。
それとは別に、罪人をわかりやすくするために腕や足に真っ黒の輪っかを刺青でいれるというような行為も始まりました。これは絵柄というよりは印に近いものを入れるという入れ墨文化も同時に始まっていったわけです。
そう考えると衛生面はさておき、昔から墨を肌に入れる行為自体はあったんですね。まさに伝統文化と言えます。
それから今日まで刺青文化は残っているわけですが、日本での世間一般のイメージ通り、“裏社会の人たち”がこの刺青文化には大きく関わっています
私もカタギですので、内情には明るくありません。ただし、十代当時に広島だからなのか、少しばかり彼らとも絡む機会がありましたので、その辺の経験も加味した上で自分なりの「憶測」を語らせていただきます。

刺青は「心意気であり、人前に出すものではなく、常日頃は隠してとくもの」


戦後からぐらいなんですかね、職業柄でしょうか。命懸けの仕事に就いている方々、裏社会の方々が背中に全身にと、紋紋を纏っているという実情があります。
そして、ソレは心意気であり、人前に出すものではなく、常日頃は隠してとくもの。つまりは、人に見せるためにあるのではなく、己の決意と覚悟を誓ったものであり、人知れず背負うもの。それが”粋”であり、”筋”であると
火消しや鳶から時代ごとに変わったとはいえ、タトゥーとは完全に一線を画す精神的背景が引き継がれています
更に、裏社会に方たちは彫り師さんを組織の中で囲うようになります。
囲うというと語弊があるかも知れませんが、要は刺青を入れる商売、お客さんはその筋の一筋縄ではいかない人々、何かとトラブルもあるでしょう。
一見さんお断りというか、少し一般大衆から距離がある位置、その筋の知り合いがいないと会えない存在に彫り師さんはなっていったわけです。
図らずもそのような文化によって、日本の伝統的刺青技術は保護され、伝承されていったんじゃないかと思います
現にその昔、とある有名なアーティスト(前述)がタトゥースタジオを広島で初めてオープンした時に、その筋の方たち大勢に囲まれて、「タトゥーみたいなもんは裏稼業じゃろうが!うちで面倒見ちゃるけぇ、黙ってなんぼか削りいれぇやボケぇ!」(広島弁解説:うちで守ってあげるから月一でも売り上げからいくらか納めてね)とか脅されたそうです。
しかし当時、その方も命がけでタトゥーアーティストで生きていくと覚悟を決めていたそうで、ここで裏の文化に取り込まれては後世に続くタトゥーアーティスト達の為にもならない!と。彼ら相手に「わしがやっとるのはタトゥーじゃけぇ、刺青とは違うもんなんですよ!」と頑として首を縦に振らなかったそうです。
そういった誤解を孕みながらも海外から入ってくるタトゥーとは違う背景があり、彫り師さんが隔離されたことで、より和彫りの文化はその深度は増すものの一般には普及しなかった。つまりは、情報が出てこなかったんでしょう。
お客さんも選別され、自分の技術を研磨することにより集中していった刺青師さん達の独学研究心は強く、さらに日本の刺青師さんたちの歴史は古いので、それぞれ自らで針、道具を作るのは当たり前。墨も石から摺り、墨の色も自ら研究し調合し、大昔は朱色を出すために赤錆を混ぜてたとか。これは戦前の話ですけど、その噂の元で今だに刺青入れたらMRI入れないとかトンデモ話があったりします。つまりこれは、朱色に含まれた微細な金属片がMRIの電磁波で溶解爆発するだとかという背景ですね。

隔離することで、文化の深度は深まっていく


隔離し、深度を深めていくというのは、日本ではよくある伝統文化の形だと私は思います。
歌舞伎の梨園や、相撲の角界然り、刺青の世界も形をあまり変えず伝承していくことに重きを置くというか。
刺青師さん達もお弟子さんをとって一門という言い方をします。一門によっては事細かく決まりがあったり、厳しく絵柄ごとの向き角度色合い完璧に伝承しなければならない。
お弟子さん同志で試し彫りし合う、師匠の身の回りの世話から始まり道具を持てるのは数年後、などなど。
正に伝統芸能の世界だと聞きます。
やはり、私の様なタトゥー愛好家如きでは格式高くて近づけないという感じです。現に数人のタトゥーの彫り師さんの友人に聞いても、和彫りはあまりにも世界が違うから、しきたりとか詳しいことはわからないとおっしゃってました。
つまり、まだまだ表に出ない伝統技法やしきたりはあるんだと思います。そもそも、古き良き伝統を守ってる一門こそメディアには出てこないでしょうし、この度のタトゥー裁判は、刺青とタトゥーをごっちゃにされて風評被害で無駄に騒がれて迷惑だという意見も散見します。
やはり歴史的背景が違うのでタトゥーとは相容れない場合もあるようですね。

タトゥーと刺青の会合


そしてここからドンドンややこしくなっていきます。
戦後から昭和後期ぐらいまでそんな感じで、刺青文化は裏社会の方たちに護られながらより深く研ぎ澄まされていった。そんなときに、タトゥーのカルチャーが上陸するわけです。
具体的には、最初は日本人が招待を受けてでしょう。海を渡って日本の伝統的刺青をタトゥーコンベンションで披露する彫り師さんが出て来たり、日本人がタトゥーに惚れて国内でタトゥーアーティストになったりと、刺青文化とタトゥー文化が本格的に交錯し始めるわけです
そうすることで日本でタトゥーブームが起き、日本にもタトゥースタジオが出来始めた。更に海外へ出た日本の彫り師さん達の技術の高さに驚愕してジャパニーズスタイルタトゥーブームが世界中で起こるんです。何がややこしいかというと、今まであまり表に出なかった日本刺青技術が、世界中で真似され始めたということですね
さらに、技術の交錯が起こります。和彫りの刺青の絵柄は一門ごとに守ってきた決まった型があるのですが、今の時代ネットとかにのると世界中に丸写しにパクられる。
実際、海外のタトゥーマシンは性能が良くて、早く綺麗に彫れるから和彫りの彫り師さん達もドンドン取り入れていったし、インクは海外製のほうが質が良いので、ほぼ日本の彫り師さん達も使っておられると思います。
海外の場合、大抵の国でタトゥーインクメーカーはそれぞれの国の衛生局みたいな機関で調べられて許可がでた製品しか発売できません。日本にはそういう法整備がないので海外製のインクの方が安心なんです。現在は、日本でもサプライヤーいくつか出て来たりしてますが、まだまだこれからという感じみたいです。
そして、海外スタイルのタトゥー文化は裏社会の人たちを必要としないから、そこでも表に出ないイザコザが日本各地で起こっただろうと思います。
そうなったことで、別に伝統的刺青を一門で学んだことはないけども、外人が彫るジャパニーズスタイルタトゥーや、日本でWalk-inスタイルのスタジオだけどその筋の人にもお世話になってますという「経営構造は刺青文化」などのお店が出てきたんです
そうして日本での混乱が起き、今に至るというわけです。

刺青は「人知れず背負うもの」。タトゥーは「自分のアイデンティティのひとつでしかないもの」


結局、タトゥーと刺青の明確な違いは言い方や、捉え方によります。
例えば、絵柄は日本古来の浮世絵にもある様なスタイルで、見切り(雲とか波とか風の渦巻きとかの周りの縁)が付いてて、七分とか胸割り、どんぶりとか言われるものは刺青といえるでしょう。
より定番のものとなると、大抵の絵柄に題名みたいなものが付いてます。具体的には浮世絵にもあるぐらい古い絵柄ーー。歌川国芳水滸伝の豪傑百選“張順 水門破り”とか“九紋龍”、“花和尚”などの背中一面の彫り物を代表に、日本の伝統、歴史由来のモノ、要はおおよそ日本由来の絵柄で刺青の精神性を伝承した彫り師さんが彫るものを“刺青”と呼ぶのであろうと。
ザックリ言って、人に魅せつけるものではないという精神性も含めて、「ぽい絵柄」は”刺青”です。皆さんのイメージからして、それでだいたい合ってます。
つまり、それ以外は全部タトゥーってことになりますね。今の所。
技術的には、どちらも変わり無くなってしまったと思います。ここ2、30年で情報が世界中並列化したので、技術での違いはほとんど素人にはわからないと思います。
それでも、和彫りの彫り師は、何十年の皮膚の新陳代謝を計算して男なら脂の乗り切った四十代で一番良い発色になる様に、女性なら三十代でとか、針の深さを決めて彫るなど、やはり伝統芸能的な卓越した技術は今尚あるらしいです
敢えて言葉で違いを定義するなら、刺青は日本古来の伝統的彫り物の文化で、極力型を残して、護り伝えていくもの。能とか狂言にちかいですね。
一番の違いは、精神背景として”人に魅せるものではなく、己の誓いや決意を込め、人知れず背負うもの”が刺青だと思います。
逆にタトゥーは海外発祥のもの、自由で芸術でルールを壊して新しいものを次々産み出すもの。
人に魅せて共有することもいいし、気持ちを込めて見えないところに入れるのも良い、自分のアイデンティティのひとつでしかないもの”がタトゥーと呼ばれてるものの感覚だと思います。

【番外編】刺青は海外でも胸張れる日本の文化

私は全身タトゥーだらけなので、日本では真夏もずっと長袖長ズボン生活を十何年間続けてました。でもオーストラリアはTシャツで歩けるのでとても楽ですね。
こっちで度々タトゥーコンベンションに行くんですが、警察官がセキュリティで見回ってるんですね。その時に、婦警さんが普通にタトゥーの予約して帰って行く。本当にそんなノリなんですよ。
あと、個人的に思うのは、「勿体無い」ということです。
本当に、日本の刺青文化は世界に誇れるものだと思っています。極論、私みたいに海外住んでタトゥー入ってる人間は得してると思う瞬間がいくつもあります。日本人ってだけで「おお!ニンジャー!サムライー!って言われてタトゥーカッコいいねー」って握手されますから。笑
いろいろな意味で守られてきた「刺青ブランド」だからこそ、海外でも胸張れる日本の文化なんだなーとしみじみ思います。
肌に色を入れる行為は見た目を飾ることもそうですが、何よりも痛み、時間、お金迄伴って得る強い想いのカタチです。私はそういう人の気持ちの動きを幸せだと感じるし、人生賭して彫ってくれてる彫り師さん達を尊敬しています。何より、魂込めて彫られた彫り物はほんとに美しいです。
私にとってタトゥーがある人生はより鮮やかで、より豊かに、幸せを感じるように思いますよ。